今回は先日ご紹介した「春雨」と同時に完成させた艦のご紹介です。
特Ⅲ型駆逐艦「響」です。
響は特型駆逐艦の22番艦(III型の2番艦)として建造ました。
大戦中3度の甚大な損傷を蒙ったにもかかわらず沈没せず、終戦まで生き残った強運ぶりと活躍から「不沈艦」などと呼ばれた武勲艦です。
1942年5月に爆撃により艦首をほぼ喪失、約半年の修理を受けます。
43年にはキスカ島撤退作戦に参加、多数の将兵を収容し作戦は成功しています。
44年に高雄沖で船団護衛中に触雷しまたも艦首に甚大な被害を受け45年1月まで修理を行いました。
45年3月には戦艦大和の沖縄特攻作戦に参加しましたが、三田尻沖に移動中にまたも触雷、呉に帰投し修理する事になりました。
終戦時、特型駆逐艦24隻中で生き残ったのは「潮」「響」のみ、行動可能な艦は「響」のみでした。
戦後は復員輸送に従事し、その後は賠償艦としてソ連に引き渡され、1950年代まで活動、1970年代に標的艦として処分されたそうです。
今回はヤマシタホビー(以下YH)製キットを使用しての製作となります。
こちらですね。
…
はい、開戦時です…
こちらは発売後すぐに「最終時で作ろう」と考えて購入したのですが、モタモタしてるうちに最終時仕様の響が出てしまいモチベーションが低下したりしてしまいました…
響船体、相変わらずYHのディテールは素晴らしい。
とりあえず、船体側面のモールドは削り取って鋼板継ぎ目の再現と舷窓の開口をしています。
舷窓には盲蓋をして舷外電路を資料を元に再現。
リノリウム押さえにはハセガワの「リノリウムフィニッシュ」を使用しました。
これは数年前に限定で販売されたもので、限定販売だったこともあり何となく仕舞っておいたのですが、置いておいてもしようがないので使う事にしました。
薄くて結構伸びるのである程度の幅に切ってから船体に貼り付け、そこから甲板に合うように切っていきました。
その作業は少し大変なので綺麗に貼ろうと思うとある程度の技量が必要かと思います。
上部構造を作っていきます。
煙突はモールドを削り取ってエッチング(以下EP)などに置き換え、後部施設のスキットビームがこのキット(というかYH特型キット
)最大の問題点ですが…
目立たないように慎重に切り取ってEPに置き換えます。
まず煙突右脇のスキットビームはレインボー製EPを使用、そのままだと椀型の通排気筒に干渉して載せられないので一部を削り、淵を伸ばしランナーで修正してビームを載せています。
煙突左脇のビームはビームの足下を0.3~0.4mmほど切って高さを調整、煙突側と干渉する箇所を切って微調整しつつ載せています。
ついでに機銃台をランナーのナンバー板で拡張しています。
張り出してる箇所に薄っすら接着後があるの判りますかね?
さて、今回の製作ですが、最終時ということで開戦時とは装備が変わり所々改造しないといけません。
ピットロードの吹雪に付いていた余りパーツを使用しています。
艦橋前機銃台の増設。
こちらもピット製吹雪の余りパーツからですが、製作にあたり響の資料を見ていたら気になる写真を見つけてしまいました…
1944年の艦首に損害を負ったときの写真です。
艦橋前機銃台の支柱が一本支柱ではなく複数の細い支柱になってるのが判ります…
想定外でどうするか迷ったのですが、こうしてみました。
元の支柱の周りに補強桁と小支柱を取り付けてそれっぽくしています。
時間があればちゃんと再現してもよかったんですけどね(汗)
マストの製作。
電探を装備するために新造されています。
ちゃんと撮影してなかったのですが、煙突の製作は伸ばしランナーでの配管製作と真鍮線&EPでのディテールアップの他キットの煙突用パーツを使っています。
後部施設。
マストの製作と機銃台の増設ですが、機銃台は主砲マウントが0.5mm程あるので削り取ってからピット吹雪から持って来た機銃台を1mm程高さを増して設置します。
スキットビームは一部を切って載せたらほぼバッチリ合いました。
各部に手すりや装甲板を設置。
この後手すりなどを取り付けてマスキング→塗装→仕上げとなります。
というわけで、完成しました。
塗装前にマストを作り直して高さを増しています。
それと、おそらく前部マストの見張り所はこの形状ではなくキャンバス貼りの簡易的な物のようです。
今回は時間が無いのでそのまま製作しています。
後部マストには電探を装備、爆雷は九四式爆雷投射機1基ではなく三式?爆雷投射機2基に換装しています。
長くなりましたが今回はここまで一気にご紹介しました。
次回は今月末に完成画像のご紹介を予定しています。